バックナンバー

 

マニラE通信11号

 3月16日

 

仕事のために寝る時間を惜しんで

 “ステレオタイプ”のフィリピン人像からみると、ヘクター・マロンゾさん (51 歳 ) はちょっとはずれるかもしれません。なにしろ仕事のためなら寝る時間を削ってでも働き続けたフィリピン人ですから。もちろん自分の会社の創設期であり、若さもありましたから、事業が軌道にのるまでは当然の努力といえるかもしれません。しかし、へクターさんが興味深いのは、その努力こそが自分の今日の成功の源であると、自分の原点をそこにおいていることです。
  会社はマニラ南部の郊外、パラニャーケ市にあります。 1986 年の創立当初は、 1 軒の建物の 1 階部分を仕事場、 2 階を住宅にした家内制手工業のスタイルでした。いまでいう SOHO 、在宅ビジネス。これを“中国式ビジネス”というのだと彼は教えてくれました。こうしていつでも仕事ができる、家族と過ごす時間ももてる、というわけです。この国でビジネスの成功者といえば中国系の人々。あやかりたい気持ちはよくわかります。彼が会社を作ったのが 1986 年、この年は寅年でビジネスを始めるとうまくいくという中国縁起にもあやかっています。

 

ヘクターさんは、寝る時間を削っても働く日本人の仕事の仕方から大いに学んだよ、といいます。時間的に睡眠が減るというだけでなく、仕事に没頭する、集中する、そして注文にきちんと応じて仕上げるという態度が大事なのだといいます。

 

HDM テクノロジー会社は 1986 年、 HDM オートメーションセンターとして出発したのち、 1996 年に株式会社になります。 HDM とはヘクターさんの名前の頭文字からとったもの。現在資本金 200 万ペソ、社員は 76 人です。中小企業の区分で言えばスモールビジネスの規模です。HDM社は半導体メーカー国内約 400 社のうちのトップ 10 に入る規模と実力だそうです。おもなお得意さんはラグナ経済特区内にある日系企業などの電子機器メーカーなど。
昨年、フィリピン中小企業開発庁が作成した 2010 年までの中小企業開発計画によると、国内企業の 99% 以上を占め、雇用の 70 %近くを吸収する中小企業に対する支援の要は、融資の改善にあるといいます。迅速で高品質な生産を誇るHDM社としても、今後の設備投資に備えて中小企業向け融資の拡大を期待しています。最近彼が入手したフィリピン開発銀行の製造業向けの新融資プランでは、単なる資金の貸付だけではなく、ビジネス診断なども含んだ中小企業への助言、援助をはっきり打ち出した融資が示されています。そしてその“診断チーム”はフィリピンだけでなく日本の技術者、専門家も含めて構成されており、問題解決の相談にのってくれるとのことです。
ヘクターさんの事業はいま、低成長期からなかなか抜け出せないジレンマをかかえています。
今の会社を起こすまでは、大手の電機工場で働いていました。しかし、会社倒産、工場閉鎖であっという間に 8000 人近い従業員が解雇され、彼もそのひとりでした。 12 年間勤めたその会社では、しかし幸いにも日本の電気メーカーなどに技術研修に行く機会がありました。そこで学んだのは生産技術だけでなく施設管理、人事、従業員教育など企業のマネジメント、これがのちに大いに役立ちます。品質と納期を守るためには徹夜の残業もいとわないというものづくりマインドは、これまでヘクターさんが経験したことのない仕事観でした。

失業直後から、ヘクターさんは、これまでの経験を活かして自ら半導体メーカーを立ち上げようと奔走しました。手元の資金はわずか 1 万 5000 ペソ。
半年後には自宅 1 階の小さな工場で機械が動き始めました。 2 年後には、早くも大きくブレイク、日本の精密機器メーカーからの注文が相次ぎました。
急きょ、 24 時間営業、これまでの知己を頼って 30 人を雇用し、注文に応じていきました。睡眠時間は平均 3 、 4 時間。こうして、HDM社は好調に伸び進み、 1996 年に株式会社にステップアップします。翌年のアジア通貨危機の際も幸いなことにフィリピン自体が最小限度の打撃で済みました。

最大の難関となったのは 2 年後、いわゆる“ 2000 年問題”。世紀の変わり目に起きるであろうコンピューター機器のトラブルを見込んで大量に生産した関連部品、結局は在庫過剰となって動きが取れないでいるうちに、今度はフィリピン経済が下降して、さらに、市場が中国へと移っていくことになりました。「まったくあれ以来、だめだな。」ヘクターさんはぼやきます。

いまは 1 日 10 時間くらい働き、週 6 日は仕事です。会社の敷地はいまでは自宅とは切り離しましたが、道ひとつ隔てた向かい側にあります。半導体部品の生産を主流に、包装材の生産も手がけています。
彼自身の収入は、月にして 3 万ペソ。1 日 10 時間、週 6 日の仕事です。

 


工場内には研磨機など自慢の新機械が並んでいます。ゼロから出発して 19 年、彼の努力の集積ともいえます。

 

社長室には家族揃った写真、妻とのツーショットなどが何枚もの写真が飾ってあります。
多くの従業員を抱える社長さんの責任としては、この会社を継続していくために子供たちにしっかり継いでもらいたいと願っています。そのためには外で 4,5 年くらいの修行が必要と考えて、大学を終えた二人の娘はほかの会社で働いています。息子は大学生、この子も会社を手伝ってくれるだろうと期待しています。ファミリービジネスとしての基盤を固めるのはこれから。フィリピン経済の好転を期待しながら自助努力を惜しまないこのような社長さんたちが、この国のものづくりを支えているのだと思います。



世界的なリゾートとして知られるボラカイ島の玄関口にあたるパナイ島、アクラン州の海岸に広がるバクハワン・エコパーク。広さ 70 ?といますから、東京ドームの 14 個分でしょうか。 20 年ほど前から始まったマングローブ再生事業が軌道に乗って、見事な樹林を形成しています。出張で訪ねた際、このように成功した秘訣を聞くと「ペイシェントです、ひたすら忍耐。」といっていたのに驚きました。失礼ながら、それは、この国の人たちにとっては最も不得手なことでは・・・。ガイドさんもその通りといっていました。しかし、地元の人たちが協力して 10 年後、 20 年後に豊かな海が戻ってくることを信じてこの事業を進めたそうです。そして、いまここで観光案内をしたり、漁をしている若い人たちはその子供たち。
ここで植林を体験させてもらいましたが、雌雄別株でわたしが植えたのは雌株、長さ 30 ?ほどでしっかりした棒のような先に丸い芯がついています。波打ち際の浅瀬に差し込んで支え棒に括り付けます。魚のすみかになり地域の人々の経済を潤し、防波堤の役割もするマングローブ。 1 年後、 2 年後・・・ 10 年後、楽しみです。

 

 

 

発信:おおつかともこ

文・写真も)

連絡先: