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マニラE通信19号

 3月1日

 

2006年は・・・

2・26−2月26日はちょうど、出張中でした。マニラから車で7時間、山岳地帯の中心地・バギオで行われるワークショップの開会式に参加するためでした。
夕方、友人からケータイにメールが入り、海軍基地内で反乱が起きたようだというのです。さっそくホテルロビーのテレビを職場の同僚たちと見たのですが、英語、タガログ語が入り混じり状況がよくつかめません。今度は別の友人から電話が入り、基地のフェンスに向かって市民が集まっている、革命のときに歌うバヤンコ、わが祖国という歌が聞こえているので、もしかしたら事態は大きくなるかもしれないので、気をつけて・・・。続いて、日本からケータイに電話。戦車や銃を構えた兵士の姿がテレビに映っているが、大丈夫か、と。


前々日の24日、アロヨ大統領は全土に非常事態を宣言しました。首都圏の学校は休校となり、各職場も午後から休日扱いとなり、わたしも不要不急の外出をひかえ、自宅待機となりました。テレビをつけて状況をみようとするのですが、あちこちのチャンネルを回してみても、なかなか情報がつかめないので、焦りました。前回2003年の国軍反乱事件の際はインターネットを通して状況をつかむことができましたが、今回はなぜかインターネットがほとんどつながらなかったために、やや孤立感を味わいましたが、思い直して、緊急連絡網を確認し、水と食糧、非常時の持ち出し品の確認などを行いました。
でも翌日の土曜日は、日曜日からのバギオ出張にほしいものがあったので、近くのショッピング街まで行ってみると、びっくり。あふれるような人出で、マクドナルド、ジョリビーなどファーストフードの店の前にも行列ができ、封切られたばかりの映画「メモリー・オブ・ゲイシャ(さゆり)」のチケット売り場も人が集まっていました。普段の週末となんら変わらない風景。

20年前の1986年2月25日は「ピープルパワー革命」の成就した日でした。人々が戦車を囲み、武装する兵士を説得する姿を当時、新聞やテレビで見ていて、本当に感動的でした。しかし、20年後反アロヨ派の集会とデモ、それを力で押さえ込むアロヨ政権そして通常の週末を過ごす人たち、と分断の構図になっています。
わたしの身近にいるフィリピン人で、典型的な庶民を感じるドライバーのジュンさんに、一体どうしたら解決の方向があるの?と聞いてみました。彼いわく、「選挙をすればいいのさ。前回の選挙はおかしい、不正だとみんな思っているよ。だからもう一度選挙をやり直すべきだ。」
前回、2004年の大統領選挙。彼の家では妻がアロヨ候補に、彼は対立候補のポー氏に票を入れたと話していました。それじゃ二人の間でもめたりしない?と聞いたわたしに、どちらかが当選するので、家族としては選挙に負けた(候補者を推した)ことにはならない、とおもしろい論を披露してくれたのでした。でも選挙といえば、前回も人が死んだり、巨額なお金が動いたり、投票箱がなくなったりと大変でした。不正の無い選挙が可能なのか、わかりませんが、コンピューターの導入によって、かなり改善されると期待されてはいますが。
2010年の任期満了まで続投、憲法改正、議院内閣制への移行という現大統領のシナリオ
がどこまで進むのか、やはりいまは、混迷の中としか言いようがありません。

 


小ぶりの椅子、サカナ模様のコーヒーカップはフィリピンで買ったお気に入りのもの。出張続きだった1〜2月は気ぜわしいことも多かったのですが、ここの定位置に着くと、しばしほっとしました。

 

2006年はわたしにとって節目の年。元気の出る話でこのページをスタートしたいと思って
いるうちに、早や3月。3度目の新年をフィリピンで迎えて、ずいぶん長く滞在している
ような、それでいて早々に月日が過ぎていくような・・・。ベランダの植物を見れば、2年
前に植えたカラマンシー(カボスににた果汁たっぷりの柑橘)が当初の倍、40センチほどの
丈になり昨年まで収穫ゼロだったのが、いまは12個もかわいい実を付けました。国花で
であるサンパギータは白い小花から甘いジャスミンのような香りを放ち、オルガノやミン
トはすくすく育って調理などに貢献しています。バジルは残念ながら枯れてしまいました
が。

仕事の面では、担当プロジェクトの初期段階では、まったく受け入れてもらえなかった提案を、それでも、諦めずに、短気を起こさずに何度も提案しているうちに、近頃やっと、徐々に、実現・実施の運びとなってきました。押したり引いたりとパワーを配分しながら、相手方との価値観の違いを認識することが大事なのでしょうが、効果のある援助というのは、力仕事であり、時間がかかることを実感しています。

それにしても、この国でも次々と事件や事故が起きています。
大規模な地滑り、土砂災害の起きた南レイテ州。1月の出張でタクロバンの空港に降りたときには到着機以外何もない、のどかな空港でした。今では救援の人や物資で慌ただしく稼動しているのでしょう。土砂に埋もれた子供から、「ママ、助けて」のケータイメールを受信して途方にくれる親、なんと残酷なことか。3月の国際女性デー・月間を前に、打ち合わせをしていた女性グループのメンバーも土砂に襲われました。
このところ、フィリピンの天候はとても不順でした。日本から豪雪の便りが頻繁に届くなか、こちらは乾季というのにちっともからっと晴れずに、時々、雨の降ることさえあり、半袖では涼しすぎる夜もたびたびありました。だからといって、レイテの地滑りは自然災害ではないことは確かです。違法な森林伐採で保水能力をなくした山に、平年を上回る降雨が崩壊をよんだともいわれていますが、過去にも同様の災害がおきていることにやりきれない思いです。

実は、この惨事の前にもうひとつ、大きな事故がありました。2月4日、マニラの大きなスタジアムで起きた将棋倒しによる圧死事件。死者74人、負傷者500人以上というこの事件、亡くなったのはほとんどが女性、それも50〜70代と中高年でした。数日後、出勤前に現場に行ってみると、献花があり、報道車が1台、そして数人の女性がろうそくを囲んでいました。その中のひとりが涙声で訴えていました。後方からどんどん押されて次々にまわりで人が倒れて・・・、彼女は辛うじて一命をとりとめることができました。
大事故は、超人気のテレビクイズ番組の公開中継直前におきました。数日前から徹夜組も含めて長い列ができ、当日、土曜日の朝には3万人を超える人々が狭い門の前に押しかけてきました。そこに、いろいろなデマ?情報などが流れて列が大きく動き、後方からの圧力に押しこまれ、多くの人が転倒して惨事となりました。
誰もが参加できて、手軽に賞金がもらえると惑わされるような番組構成、しかも会場では抽選会も予定されており、最高100万ペソ(約200万円)の賞金はじめ一戸建て住宅、車などの賞品が並び、大変射幸心をあおるもの。中には帰りの交通費を持たずに地方から出てきた人たちもいたのでした。

それにしても、なぜ女性たちが、・・・。事故直前まで、列の前部には早く到着した多くの女性たちが忍耐強く並んでいたとも聞きます。お弁当、着替え、シートなどを持参して。
家事や子育てに加えて、職の見つからない夫や息子に替わって、なんとか小銭を稼ぎ出してその日その日をやり繰りするのも女性たちの役目となっています。都会に働きに出るのも、海外労働に送り出されるのも、妻や娘たち。そのほうが確実に家族に送金するといわれています。「貧困」と「ジェンダー(男女間の格差)」が悲劇と差別を助長しています。
しかし、いずれも人ごとでないことだけは確かです。

 
 
 

 

発信:おおつかともこ

文・写真も)

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