バックナンバー

 

マニラE通信23号

 

フィリピン暮らしのアイテムその3:Tシャツ&ビーサン


8月19日(土)
先週末は、ミンダナオ島・ダバオ市への出張があった。
担当しているプロジェクトの地方展開の一環として、女性たちへの支援、地域での起業開発を進めようとしているのだが、その現況視察と、関係者たちとのミーティングが目的だった。


ミンダナオはマニラなどのあるルソン島に次ぐフィリピン第2の大きな島で、北海道の約1.3倍という。その南西部はマレーシアのボルネオ島に近い。人口1400万人。イスラム教徒が多い地域でもある。このミンダナオの中でもっとも大きな市がダバオである。ミンダナオは長引く紛争などの影響が大きく、貧困、差別など深刻な状況が進行しており、早急に解決が迫られている問題をたくさん抱えているが、国際協力関係者にとっては、安全確保の観点からダバオ以外、ほとんどが渡航禁止となっている地域だ。
そのような中で、女性に、しかも従来型の女性の役割を固定しない女性支援、ジェンダー格差の是正、家族支援ができないか・・・ 思いはどんどん広がりながらも、現実ではさまざまな制約や力量の限界を感じつつ、ウ〜ム、と唸る。そして、それでも半歩くらいずつでもいいほうの変化をもたらす触媒とならんとして・・・
ちょうど女性の起業グループが国際援助機関から機材の提供を受けて、5月から生産を始めたばかりというビーサンがあったので、当然ながらそれを買うことになった。

 

Tシャツもこんな風に着こなすと暑さ対策?になる。

四季のないこちらでは、衣替えもなく、年中Tシャツスタイルが基本形になる。それに一重のジャケットかサマーヤーンのカーデガンなどがあれば十分。ふだん着はTシャツに七分丈けパンツ(わたしの場合は、長いパンツの丈を修正したものが多い。)、そしてビーサン。この3点セットが衣服の基本アイテム。これでれっきとしたご当地スタイルなので、観光客や外国人が狙われやすいという場所でも、巷の人々と同化しやすく、安心だ。

このスタイルに階層差があるとすれば、Tシャツがブランド物(もどき、も多いが)、そしてビーサンも“ハビアナスHavaiasnas”を常用してステータスをあげることになる。
ビーサンのこのブランド、ブラジルが生まれ。サッカーではなくバスケットボールが国民的スポーツになっているフィリピンでは、ブラジルはカーニバルを除くと、ほとんどなじみのない国。だが、4年前にこのブランドが上陸するやいなや、マニラ、セブ、そしてミンダナオでブレイク、大人気を集めたそうだ。
パタパタあるいはペタペタと音のする履き物、ビーサン、いわゆるゴム草履(flip-flop) であるが、庶民が愛用する値幅は30〜100ペソ(1ペソ≒2円)のもの。しかし、ブラジルブランドは300〜4,000ペソもする。もっとも高級品には鼻緒の部分に、チェコビーズやトルコ石、スワロフスキーなどの宝飾がデザインされているというのである。ハリウッドスターもお気に入りとか。
それはさておいても、この地で少々のお金持ちや外国帰りの人たちが好むのは2,000ペソ前後のもの。まず、ゴムに弾力性があり質がまったく違うこと、耐久性があること、もちろんおしゃれでセレブのビーサンになるらしい。ブラジルのメーカーから販売権を取得したのは若い起業家カップル。双方のきょうだいが、それぞれ海外にいて、ヨーロッパのビジネス情報やハワイの海岸で好まれていることなどの情報を寄せ合い、マニラでのビジネスを起こした。最初の年は4000足からスタートし、おもにヨガやピラテスの用品と一緒に扱われた。翌年には16,000足、次ぎの年がその10倍、今年の目標は50万足。すでに半分は達した、というからその勢いは相当なもの。

そもそも、ブラジルでは1960年代に、日本のZori草履からヒントを得たのが始まりという。素材のゴムに改良を重ねて、履き心地がソフトで長持ちするブランドとして、自国のシェアは95%を占めるようになり、いまは海外進出に力を注ぐようになった。そしてフィリピンは格好のマーケットになりつつあるようだ。
それでも、国民的履き物であるビーサンの市場はまだまだこれからともいえる。こちらの女性が好むような底部分がもう少し厚くて、履き心地がいいものをわたしも探している。“国産”ものに期待したい。

 

マニラで見つけたおしゃれなビーサン。飾りすぎて履き具合はいまいち、というのもあった。

 

一方、T シャツはもう言わずもがな、で必須ものである。そういえば、先々月だったか、定年した管理職をねぎらう小さなパーティがあった。現役時代は自他共に認めるベストドレッサーで、職場ではいつも裏地つきのスーツをピッタリ着用していた。フィリピン人の中でも、毎日職場でこのような正装を固持しているのはほかにはあまり見かけなかったが、彼女のいるところ、室温がいつも16度に設定されていて、周囲を震え上がらせていた。そんな彼女が、「もう、こんな気楽な格好でいいのよ」とT シャツスタイルで現れたうえに、そう弁解したのがおもしろかった。やっと、開放されて自他共によかったと思う。

話し変わって。
17日には、戦争の話を聞く機会があった。「フィリピン人の戦争体験と日本人」と題して、さいたま市在住の84歳になる作家・石田甚太郎さんという方が、1988年から取材、執筆を続けているフィリピン住民の虐殺事件の詳細を話された。太平洋戦争末期、旧日本軍によるゲリラ討伐という名の住民虐殺の現場を十数年かけて調査されている。そのなかに出てくる地名のうち、ラグナ、バタンガス州はわたしにとっても、幾度も行ったことがあるなじみの場所だけに、今と過去を切り離して聞くことができなかった。改めて日本人である自分の立場を考えることとなった。石田さんは加害側となった元日本兵からも、何度も拒否されながらも、苦心して証言を集めている。
戦争当時のことを語りたくない、黙する、墓場まで持っていく、あるいはあえて語る、それぞれの選択がある。証言は貴重である。しかし、語らない・黙するという態度も重い“証言”となるであろう。

 

 

発信:おおつかともこ

文・写真も)

連絡先: