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マニラE通信27号

 12月27日

 

パヤタスのごみ山で働く
ダンプサイトと呼ばれるごみ山周辺には、政府の立ち退き策も効果がなく、今でも1万人ほどが住み、ごみ拾いをするスカベンジャーは約2000人、そのほかは雑貨や食べ物の販売や水運び、洗濯、ジプニーの運転手などさまざまな仕事で生計を立てている。ごみの内訳は74%が生ごみ、残りがリサイクル可能なもの。今では部外者の立ち入りや撮影など厳しく制限されている。

女性のスカベンジャー。本人から了解を得て撮影した。収集するものは、鉄、アルミ缶、紙、プラスティックなど。廃品回収業者に売って1日100〜400円(43〜173P)に。
たまには、高そうな指輪なんて混じっているといいけどね、と笑っていた。

*いずれも’04年撮影



12月27日
クリスマスが終わると・・・ 
ふだんの倍以上のごみがキッチンの片隅を占領して、収集日が待たれるのは、ここでも同じ。まだまだ過剰包装が多くてうんざりします。分別収集はあることはあるのですが、新聞紙類、ビン缶類のほかに生ごみとその他のごみとなっているので、その他のごみがどんどん増えていきます。各家庭から出るこのおびただしい都会のごみはマニラ郊外のごみ山・パヤタスに集積されます。

パヤタスは第2のスモ―キーマウンテンと呼ばれるごみ山のあるところ。スモーキー・マウンテンは80年代、マルコスからアキノ、ラモス政権時代に至るまで強制撤去、その失敗が繰り返され、国際的な注目を浴びながらやっと閉鎖になったという経緯があります。わたしも一度訪ねたことがありますが、“ごみも積もれば山となる”で、高さ40mほどの山。ここを覆った土砂に草が生えて一見、緑なのですが、そのひどい悪臭が前歴を示す動かぬ証拠となっていました。パヤタスはそのスモーキーが閉鎖する前後から、大量のごみが積まれてきたところです。マニラ首都圏のケソン市にあるこのごみ山は古いほうが、2000年の崩落事故で200人もの死者を出して閉鎖し、現在は新しいほうの山が“稼動”しています。山の広さは約9?、高さは32m。古いものより一回り小さいものですが、毎日500台のトラックで約7000立方メートルのごみが、ケソン市内から運びこまれています。 

 

 

NGOのソルト (SALT)が主催したクリスマスパーティには100人ほどの子どもとその家族が参加、スポンサーなど支援者からのプレゼントや食べ物が届いてみんな大喜び。

ネスター君(7歳)が手にしているサッカーボールは元サッカー選手・ナカタのサイン入り。
10月の訪問でプレゼントしてもらったそうだ。

 

 

フィリピンの“不名誉”な名所となっているパヤタスのごみ山は、ここだけでフィリピンを語ることはもちろんできないが、ここを抜きに語ることもできないという大変、意味の深い所といえます。 日本からフィリピンに来る人の中で学生やNGO関係者さらに政府高官やファーストレディも含めて、訪問希望が絶えないそうですが、セキュリティなどで実現しないケースもあるとか。
もちろん現地で活動しているNGOは積極的に訪問を受け入れるなどして、現状の理解や支援を求めています。わたしもそんな日本のNGOのひとつで’95年から活動しているソルト(SALT)に賛同して、その活動のひとつである「スカラーシップ(奨学金)プログラム」の仲間に入れてもらっています。また、友人たちに贈る毎年のクリスマスプレゼントは、ここのお母さんたちを支援する収入向上プログラムで作成しているクロスステッチ刺繍入りのタオルの組み合わせと決めていました。



クリストファー君の一家は、2年前に訪問したときはごみ山のダンプサイト周辺の立ち退き区域に住んでいた。拾い集めてきたいろいろな電気器具を修理して再利用。写真の右半分は隣家。すぐ脇のよどみからたちこめる強烈なにおい、さらになぜか近所からカラオケのとんでもない大きな音が響いていて、わずかな訪問時間ながら大変ショックを受けた。   
*’04年に撮影

一家は昨年、ごみ山からは少し距離をおいた場所にある貧困家庭用住宅の長屋つくりの1軒に移転した。広さも、快適さも、清潔さも以前と比較にならないもの。本当によかったです。家賃は300ペソで、25年間払い続ければ自分のものになるそうだ。






クリストファー君(15歳)はこちらでいう高校2年生。初めて会ったときは小学校の5年生でまだあどけない感じでした。そのころから、算数が大好きで、ソルトの補習クラスにも必ず参加していたと聞きました。5人きょうだいの下から2番目。母親を早くに亡くし、単親家庭でお父さんが病身ながら一身に子どもたちの世話をしていました。クリストファー君のお兄さん(20歳)がスカベンジャーで、毎日ごみ山に出て稼いだ1日60〜90ペソで一家は生計をたてていましたから、子どもたちの学校はどうしても二の次になっていました。それでも、きょうだいの中で一番勉強の好きなクリストファー君の望みをかなえたいと、お父さんはソルトに学費支援を申し出て、奨学金を受けていました。わたしが彼の奨学金を担当するようになったのは、彼の何人目かのスポンサーのあとだと思います。
このソルトでは子どもたちの身になって大変、ていねいな活動をしています。例えばスポンサーからの奨学金は、一度、事務局にプールしてから100人ほどの奨学生一人一人に毎日、必要なお小遣い分として12ペソずつ、朝、学校に行く時に手渡されます。みんなに公平で、しかも確実となるためです。学用品は一括購入し、生徒たちに支給します。2年続けて落第すると奨学金の受給資格をなくしてしまうので、落第対策として土曜日に補修クラスが行われています。

クリストファー君は、小さい時に病気で左脚をなくしています。松葉杖を巧みに使いながら舗装もない狭い、坂の多いダンプサイトの道を歩いていました。高校に通うようになっても、1日も学校を休まず、成績も優秀で、毎年スポンサーに送られてくる成績表(進級証明書)を見ると、各科とも80点以上の「よい」、5段階でいうと「4」がほとんど。将来はエンジニアになりたい、と言っていました。

 

髪型をちょっと大人っぽくして格好をつけた感じのクリストファー君。妹のリンデルちゃん(12歳)も何とか頑張って小学校に通っている。彼の松葉杖の先に付いているゴム、直径4?ほどの円筒形だが、この消耗が激しくて、なかなか換え用のゴムを買えない状態だ。いい案はないだろうか。

 

おとうさんは、ごみ山から離れた住まいになって、簡単にごみ拾いができないことを少々残念がっていました。修理屋の看板を出して、扇風機、傘や靴などを修理するささやか商売を始めているのだが、ほとんど道具もなく、お客さんも来ないようです。スカベンジャーをしていた長男もいまは、ペディカブという“サイドカー付き”自転車漕ぎをしてお客さんを運んでいるが、自転車の借り賃を払うと1日で稼げるのは40ペソとわずか。それも毎日は仕事がないといった状態です。
地方から都会へ押し寄せる人々、都会の貧困、処理能力をはるかに超えたごみの量、金目のごみを求めてごみ山に住み着く人々・・・ この連鎖を断ち切ることはできないのか。お隣のマリキナ市では、マリディス・フェルナンド市長が、市政を根本から立て直し、犯罪とごみの街の汚名を返上し、安全でクリーンな街に一変したことで有名です。ごみ問題では、彼女は廃品回収業者による徹底した分別収集を断行したそうです。やればできるのではないだろうか。

 

 

 

発信:おおつかともこ

文・写真も)

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