バックナンバー

マニラE通信3号
8 月20日

 

いきなり、バンコクですが―
バンコク郊外のダムヌンサドアック・水上市場。縦横に張り巡らされた幅6〜10mの運河を行き交う小船の数は30、40・・・それ以上かもしれない。かつては“リトルベニス”だったという水の都の風情を再現した町おこしで、観光客誘致と文化保護がうまくいった。先を競って物売りする船には、グアバ、マンゴ、ドリアンなどトロピカルな果物やタイシルクのお土産品が山のように積まれ、パンケーキや麺類を調理する船も。いずれも商売に励むのは老若女性たちだった。

マニラからバンコクへ。南シナ海、インドシナ半島上空を横断して空路約3時間。そこは、タイ語と仏教の地、マニラでは味わえないアジアに少しだけふれることができました。
今号で紹介したい「NGO(非政府組織)の仕事をする人」の前段で、まず、バンコクに行った話を少々。
出張の目的というのが仕事上のカウンターパートとともに、「アジア太平洋NGOフォーラム」への参加でした。このフォーラムは「北京プラス10」とも言われ、1995年に北京で開催された国連の世界女性会議から10年目に向けた地域会合のNGO版なのです。とはいっても、わたしたち一行もそうですが、NGOだけでなく、たくさんの政府関係機関からの参加もあり、あわせて800人、35カ国からの参加者で、バンコク郊外の大学キャンパスがはなやかに、賑わいました。日本からの参加者の中には、久しぶりに会う人たちもいて、嬉しかった思いもしました。同時にわたしがいた“業界”はこれまで以上にいっそう厳しい状況になっていることも知りました。同時に逆風に負けない強さも感じました。
フィリピンからの参加は約40団体、100人を超えていました。フォーラムの事務局メンバーとしても、会議のキーパーソンとしても終始、彼女たちの活躍が目立ったのが印象的でした。やはり民の底力があるのでしょう。そしてパフォーマンスがうまいというか、仕切りが上手でした。

 

いろいろな経験をしてみたい〜NGOの会計担当スタッフ

フィリピンは“NGO大国”あるいは“NGOの百貨店”といわれるほど、非営利、民間団体の活動が多様で、層が厚くなっています。とはいっても、わたしはまだその確たる実感がありませんでした。(今回のバンコクでかなり実感できたことは確かですが。)一緒に仕事をするのは労働雇用省・技術訓練能力開発庁の傘下にある女性センター職員ですから、いわゆる公務員。各実施事業に関連していくつかのNGOとの連携や協働はありますが、まだ限られています。この国でも公務員はじめ公的な仕事に就く人たちは給料の額よりむしろ安定性を優先しています。ですから、一緒に仕事をしていても、上司から言われるときちんとやり、言われたことだけをやりがちで、新しいことに着手するのがなかなか難しいのです。というわけで、NGOのスタッフに会えるのを楽しみに訪ねていきました。
マリラ・アキノさん(27)の職場は、マニラのやや下町、パサイ市にあるCFSI*という団体です。事務所のある3階建てのビルは昔は病院だったところをそのまま借りてオフィスにしています。受付のカウンターも各室もなんとなくその名残が感じられ、こぎれいに整っていました。活動の中心は国内の紛争地域や開発などで土地も仕事を追われた人たち、いわゆる国内難民を中心に国境を越えた難民も含めて、さまざま支援プログラムを行っている国際活動NGOです。
 *CFSI Community and Family Services Internationalは1981年設立。
UNICEF、 UNHCR,UNDP,WHO、アジア開発銀行など国際機関をパートナーとして、移動を余儀なく強いられた人々、難民の物心両面の自立支援プログラムを数多く実施しています。
マリラさんの仕事は会計です。扱う予算は年間約3,500万ペソ(約7000万円相当)ですから、国内でも大手、トップクラスのNGOのひとつです。3年間の会計専門学校を卒業したあと、この仕事に就いて6年目。学生のころから地域のバランガイとよばれる小さなコミュニティの中で、ボランティア的な活動をして、貧しくて困っているような人たちの助けになるようなことを続けていました。そのためか仕事を選ぶ際も社会的に役立つ仕事がいい、とNGO への就職はさらりと決めたようです。この辺に気負いがなくて、よく聞くバリバリなNGO人とは異なった“新NGO人”的な感じがしました。
彼女の年代からいえば、もの心がついたときからNGOは社会経済の構成員として存在していたことになりますから、特別な就職先ではないのでしょう。もちろんこれはNGOが圧倒的に集中しているマニラ首都圏での話になりますが。この辺の話は、後回しにして・・・
「組織内での資金の使いみちや流れなど帳簿を通して明確にわかりやすくしていくことがわたしの仕事。」
大きな組織、といっても事務所スタッフは10人。支援重点地域であるミンダナオ州など現場のサイトへ多くのスタッフを常駐させる方針に転換してから、本部規模は縮小したそうです。



 

業務は分化されていて効率よく効果をあげるべく、ソーシャルワーカー、広報担当、プログラムコーディネーター、会計担当などそれぞれの専門を学んできた人たちが就いています。給料も企業や国際機関と比べても引けをとらない額。マリラさんの場合で、月にして28,500ぺソですから、女性センターの職員より、ずっ〜といいです。
「そうなんです、給料には満足しているけど、欲をいえばもっと現場に出て、いろいろな経験をしてみたいですね。そうすればもっと効果的な会計マネジメントができると思っているんです。」2歳と4歳の2人の子どもは母親に預け、週末になると夫と迎えに行って一緒に過ごす生活スタイル。残業が続いてくると、もう少し時間的に自由なところへと、転職も考えるようです。これもまた働き方としては、組織に属するというより、自分の仕事を持つということになるのでしょう。

フィリピンのNGOについては、友人の森田汐生さんが大変詳細に報告していて、素敵なHPがありますので、そちらにゆずります。(http://www.assertive.org/philippine)
でも、ひとこと。フィリピンにはNGOとPOとよばれる民衆組織とあわせて、その数2万とも3万ともいわれています。法人として活動するには証券取引委員会への登録や社会開発庁の認証など必要になっています。社会開発系NGO協会のガイド「社会開発NGO便覧(2000年)によれば、フィリピンのNGO設立の流れを第1~4期に分けて、第1期は1980年以前で、全体の約4分の1弱。第2期の1981〜1990年は全体の4割を占めています。
実はこの期間というのは、マルコス政権末期からアキノ政権時代にあたります。世の中が騒然として、大きな変化のうねりの前後に大きな民の力、この国でいえばピープルパワーが強く働いた時期ですから、多くのNGOが誕生したことは当然といえばそうですし、社会変革を導く民の力とNGOはコインの表裏になっているということになります。

最後にちょっと余談ですが、マルコス時代といえば、先日、話題の映画「イメルダ」を見てきました。イメルダさん本人の反対で一時は上映が危ぶまれた、彼女の半生記とその時代のドキュメントです。2時間余の長編。マラカニヤン宮殿のあの驚くほどの靴の数や当然それらが合うような、ドレス、バック、アクセサリー類のすごさとそれらを身につけて大統領以上に国際舞台に出ていたことに、いまさらながら目を見張りました。それが当然自分の役目と限りなく膨張させていった大統領の妻への歯止めを、どうにもかけられなかった・・・
そして、やはり驚くのはファーストレディにまで駆け上がっていった彼女のシンデレラ・ストーリーに根強いファンがいることが映画からもわかったことでした。今でも時々、都心のホテルなどでその姿がすぐわかるような存在ですが、取り巻きの人たちも依然少なくないようです。友人のフィリピン人に言わせると、先のイラクで起きた人質解放のビック・ニュースとも併せて、「みんな、ドラマが好きなのよ。」さめた分析でした。


バナナの花
 “ブヌヌでバナナ”は言葉遊びだが、こちらではバナナの種類が多いせいか、バナナと表示していない。たとえば品種名で、ラトンダンは小ぶりで甘いバナナ。写真はハート・オブ・バナナと呼んで、食材となる花(つぼみ)。筍の姫皮のようで、みじん切りにして、肉野菜炒めなどに加える。

 

 


 

発信:おおつかともこ

文・写真も)