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マニラE通信4号
9 月19日

有機野菜が育っています〜オーガニック農業&起業家

―南の空を覆っていた雲も消えて、この地域の雨期もそろそろ終わりに近づいてきました―数日前の NHK の世界の天気では、東南アジアのあたりを示しながら、こんなふうに解説していました。 5 月から始まったこの雨のシーズンには、多くの台風が発生して、特に今年は日本に向かっていたのが多かったようです。「これはフィリピンの輸出品のひとつよ。」職場でそんな冗談をいうスタッフがいましたが、 EPA( 経済連携協定 ) には含まれていないはず・・・。
マニラでは昨年に比べて、今年の雨はしとしと、ざあざあ、と切れ味がよくない振りかたが続いたように思います。
8 月の末、その日も夕方からひどい雨になりました。そんな中、マニラ市のお隣りにあるケソン市のフィリピン大学近くを車で徘徊しながら、お目当ての有機野菜店をやっと見つけました。こんもりした木立の中に新しく大きな家の堂々とした姿。これはある種の成功者の構えかな、と感じます。
今回お目当ての「グリーン・デイジー」の店の主はデイージー・ランジェネジェールさん。難しい発音のファミリーネームは、スイス人の夫の姓。デイージーさんが海外に出ているときに出会い、ともに有機農業を実践することで志が一致したそうです。

“有機”はこれからの成長ビジネス、と確信するデイージーさん。

デイージーさんの話はいきなりマルコス時代の戒厳令まで遡りました。優に 1 時間以上を費やして語ってくれた有機農業の苦難の道のりはこうです。 1972 年の戒厳令布告の年に小作農解放令が出され、地主階級の強い抵抗を退けて、農地改革を断行します。これ自体は期待されていた改革だったようですが、結局は頓挫しました。一方、コメの増産計画では農薬、化学肥料を大量に投入して生産をあげようとしましたが、農地の荒廃につながっていきます。
「農地を手に入れた農民たちが増産のかけ声にあわせて、化学肥料や農薬を買うために借金を重ねていきました。それがいかに農民を貧しくさせ、健康を損なっていったか。とても許せるものではありません。」
この時期、「緑の革命」とよばれた農業戦略がアジア各地で展開し、アジアの伝統的な農業を根本から覆していきました。農産物の増産計画は灌漑設備や改良品種、化学肥料、農薬の購入のための農業融資による海外資本の導入を許していきます。デイージーさんは夫と共に、海外で農業や農産物を基にした起業を手がけている時期でもありました。この大改革はこれまでの伝統農法や自然農法をまったく認めないものであり、心ある農家はこの大波に抵抗できずに、苦しい立場に追いやられて、その後も高度に商品化した農産物に太刀打ちできない時期が長く続いたようです。1986 年、マルコス政権崩壊後、フィリピンに戻ってきた彼女は、フィリピン大学の社会人学生となり、起業コースで学びます。

このころから彼女の海外経験と、もともと農業に対する強い肯定感が原動力となって、メキメキと頭角を表してきました。というのも、彼女の背景には農民医師だった父、看護婦だった母の農業を守る強い信念があります。出身地であるルソン島北部のイロコスは平地の少ない、痩せた土地が多く、その地を開墾して勤勉、倹約な開拓者魂をもった人々を数多く生んでいます。ご両親はその土地柄が生んだ典型的な人物像のようです。実はここは、マルコスはじめマグサイサイ、ラモスなど 4 人の大統領を生んだ地としても知られています。デイージーさんの心情には両親と故郷を限りなく誇りに思っていることと、伝統農業を破壊に招いたマルコスへの反発が混在しています。

大学時代は起業のアイディアを出し合い、実践した時期でもありました。彼女のやんちゃで元気な行動力は“クレイジー・デイージー”のブランド名ともなって、手づくりクッキーのお店を開いたり、アーティストの卵が集まるカフェを作ったりと、かなり自由に楽しく、起業を実践してきたようです。

そんな、デイージーさんにもうひとつの転機が来たのは、ヨガ教室に通っていた時期。どこに行けば、いい野菜が手に入るのだろうか、というベジタリアンの言葉でした。自分の DNA が反応しました。有機野菜を作ろう。健康にいい美しい野菜を作ろう。
こうして 1999 年から、有機農業&起業家を名乗ります。

マカティの高級スーパーマーケットに有機野菜コーナーがあります。日本でみるのと違って、熱帯育ちですから、虫くいも大胆ですし、買い物かごにいれてもまだ葉っぱを食べ続けている虫もいます。育ち過ぎや鮮度が失われているものもありますが、これは流通上に問題があります。それでも隣りにある有機でない野菜売り場の価格よりは平均 3 割くらい高くなっています。
毎週土曜日に買出しに行くオーガニックマーケットでは、野菜の種類も豊富で新鮮ですが、ここも高めです。やはりお客さんは一般庶民ではないと思われる人たちや外国人の姿が多くなります。

先日、テニスボールのような丸いアボカドを買おうとして、少し年配のフィリピン女性と立ち話をしました。どうやって食べています?と聞くと、「お砂糖をかけるの、おいしいわよ。」わ〜やっぱりこの国の人って、甘味党だ。全般に料理は甘めで、こってり系が多いせいか、続けて食べると少々、胃がつらくなります。ケチャップもトマトでなく、バナナケチャップのほうが好き、という人が多いのです。「アボカドなら、しょうゆを少したらして食べるとおいしですよ」。と言うと、「そうか、カリフォルニア巻きね、アメリカで食べたわ。それもいいわね。」と、彼女は納得してくれました。
こんなふうに、海外暮らしの経験がある人、健康志向の強い人もお客さんのようです。
よく食べる常備菜のカンコン(空芯菜)は一束、通常なら5ペソですが、オーガニックブランドでは 20 ペソですから、一般的に普及するにはまだ難しそうです。友人にきくと、高地のバギオから来るものは農薬も化学肥料もそんなに使ってないから大丈夫、とか。彼女のお勧め野菜はハヤトウリの若葉やカモテ(さつまいも)の葉、それにガビ(サトイモ)。わたしはサルヨット(モロヘイヤ)をゆでて、みじん切りにしておかかとおしょうゆで“とろろ風”にしたのが好きです。また、アンパラヤ(ニガウリ)、長さ 30 以上もあるシタウ(ジュウロクササゲ)などは炒め物やスープにかかせません。

 

若者に人気のモール街、マカティのグリーベルトに週 2 回有機野菜のマーケットが出る。

マカティにある高級スーパーマーケット、ルスタンスにある有機野菜コーナー。

 

 

米国農業省の海外農業部門が 2000 年に出したレポートがあります。「フィリピンにおける有機農産物と市場概観」。これによりますと―、今後の市場拡大を示唆したものですが、そこには課題も多いようです。レポートの分析によりますと。フィリピンでは一般的にはまだ有機食品に対する関心は低く、流通も整備されてなく、価格に敏感な庶民の間では受け入れられていない。購買層は食品の安全性、環境問題に関心があり、健康志向のフィリピン人や外国人駐在員などでまだ隙間産業。しかし、今後、有機食品への関心は高まり、その需要は国内生産を上回ることが予想され、輸入有機食品(特に加工食品)の可能性はある。さらに関連の種子、家畜、機材、技術にもビジネスチャンスがでてくるだろう。ただし、フィリピン経済の好転とペソ通貨の安定が必要であるが・・・

有機農業実践者はフィリピン農業の約 1% と推定されているが、「有機」とみなす基準つくりはこれからのようです。デイージーさんはこういいます。有機栽培の農地を増やししていくこと、契約農家をふやしていくこと、必ず成長するビジネスになっていきます、と。この熱帯な気候と周囲の隣接農地が農薬を使用する中で、自分のところだけ有機、無農薬を進めることができるのでしょうか、素朴な疑問をなげてみました。まず有機農家の農地のうちの中央部分で耕作をし、周囲との距離を置くそうです。そして、徐々に周辺の土地を購入していき、耕作面積を広げていくとのこと。未耕地が多いフィリピンならではのやり方なのでしょうか。

大きな自宅の一角に販売所がありますが、なかは野菜や果物であふれていました。天然酢や穀類、ハーブ、蜂蜜、スパイスなどもあります。この仕事が好きだから、 1 日の全部が仕事時間で満足しています。それに 21 歳の息子が一緒に働き始めたので、なおのこと。収入を気にしていないのは、かなりの余力があるからでしょう。これからは、ケータリング、レストラン部門を充実させて、有機食品の普及とビジネスの拡大を進めたいと、チャンスをねらっています。


 

最近はまっているのがシュノーケリング。リフレッシュしながら仕事に励んでいます。
(この写真はムスメに撮ってもらいました。)



 

発信:おおつかともこ

文・写真も)

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