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起業の支援・
仕事の進化の対話編~4

 

― こうして話をしているうちに、漠然と考えていた自分の考えがまとまってきた、問われることに答えているうちに、自分の言いたかったことがわかってきた、これまで自覚していなかったことが、あたかもずーっと考えていたかのようにみえて、その言葉が自分に説得力を持ってきた――

このような経験があったとしたら、それこそ対話の力です。対話することによって、顕在化してくる力を起業や次の仕事、生き方に活かしていく、そんな役立つ対話をもっとすすめてみませんか。
わたしも実践してみました。(大塚 朋子)

マラウィから一時帰国した国際協力コンサルタントの小林由季さんと久々にお会いした。いつも気になっている友人のひとりで、その仕事ぶりや生き方を応援しているうちに、わたしのほうも気付かされること多く、世代を超えてじっくり話ができる人でもある。マラウィ生活もすでに11年、いまや仕事面だけでなく“大臣夫人”という重責も担っている小林さんとの対話です。

<マラウィとの出合い>

大塚 まずはマラウィという国についてですが、実は、由季さんがいる国という以外には、ほとんど知らないといっていいのですが… 親日とも聞いていますが。 

小林 マラウィに仕事などで赴任してきた人が、もう日本へ帰りたくないとか、帰ってもまた戻って来るなどかなりはまるところがあるらしい。時間はゆったり流れるし、人々も穏やかですし、フレンドリーですね。

大塚 由季さんもそれにはまってしまったということかな。

小林 まあ、そうなんでしょうね。 マラウィ共和国はアフリカ南部にあってお隣はタンザニア。人口1400万人の小さな国で、1964年イギリスから独立後も政治、経済とも大混乱はなく、熱帯気候ですが、高地も多く比較的暮らしやすい所です。
わたしは専門が中小零細企業振興でして、仕事をするなら、当時あまりこのテーマで行く人がいないアフリカは狙い目かと。そんなこともあって専門家派遣の話があった時に、手を挙げました。

大塚 JICA(国際協力機構)の仕事ですよね。あれは’99年でしたか。

小林 そうです。アドバイザーとして赴任先は中小零細企業振興公社でした。2年の任期でしたが、さらに1年延長して3年仕事をしたあとも、結局マラウイに居続けて、今に至っています。

大塚 仕事もちゃんと続いているのは素晴らしいですね。

小林 開発コンサルの会社に所属して、そこの主任研究員という肩書をもらって、調査やアドバイザーの仕事がこれまでほぼきちんと入ってくるので、生計基盤もできています。

大塚 夫さんともマラウイで?

小林 そうなっちゃった。。。

大塚 そう言っちゃなんだけど、由季さんのことそんなに詳しく知っているわけではないのですが、あなたから恋愛とか結婚という話はあまり出てこなかった感じだったようで。あったとしても仕事とのバランスからゆっくり答えを出すタイプかな、と。それが結構早い時期に結婚を決めた話を聞いたような気がする。

小林 みんな同じような感想もってるようで。わたしもどうなっちゃったのかな。早かったですね。彼と出会ったのは赴任してすぐ、マラウイの言葉を習いに行った時点。チェワ語です。その先生でして、もともとフランス語教師でした。半年ほどで親しくなって。一緒にいてもいい人かなと。

大塚 それってよくあるパターンじゃない?でも大事なのはパッションですからね。その彼が国政選挙に出て、当選。いま2期目なんですね。

小林 もともと部族の酋長、リーダーの家柄で、祖父が英国植民地からの独立を果たす時の政党を結成した中心人物の一人で、その流れがあったのでしょう。
いろいろ入り組んだ政治情勢なのですが、現大統領が今年再選されましたが、1期目で当選後に脱党して別の政党を結成し、うちのダンナも別の党から合流して内閣入りに声がかかった。お陰様で2期目も国務大臣に任命されました。それなりにハードな仕事のようですし、地元などからの要望は地方議員へのそれのようなので対応も大変そうです。

大塚 夫さんがフランス文化センターのフランス語教師から大臣へ。それに伴って由季さんも思いがけない肩書がひとつ増えたのね、“大臣夫人”という。。。

<500円の怒り>

大塚 もともと国際協力分野へ進もうと考えていました?いわゆる帰国子女でしたよね。

小林 父の仕事で4歳から7年間シンガポールに。日本人学校に通っていましたが、英語もその時、身につきました。
津田塾大では国際関係学を専攻して、バブル期の当時、人気のあったベンチャーキャピタル企業へ就職。そこに5年間いましたが、退職して、さらに学んでみたいと、英国に留学をしました。

大塚 ちょうど仕事がこれから、という時期に惜しげもなく退職?

小林 そこではまだ女性は入社時の総合職制度を採用していなくて、1年待てば総合職に転換できるといわれました。それで転換してばりばり働いていたのですが、ある時、同期に入った男性と基本給に500円の差があることがわかったんです。これは一体どうしたことか、担当者に詰め寄ったのですが。。。

大塚 500円の怒り。それで退職したの?

小林 理由はたくさんあったんですけど。もう一つ象徴的な出来事がありました。そのころはMBAブームでしたが、会社は語学も十分でない男性を社費で語学学校に行かせてから留学させていました。語学のできる女性から選んで送ろうという視点はなかったようです。ジェンダーが身にしみました、本当に。

大塚 そういう会社なら未練はないと。わたしの世代は就職することすらままならなくて女は家庭に、男は仕事にという社会の“常識”がはびこっていた、なんという“非常識”だよね、まったく。
だから自分で仕事を作ったり、フリーランスとかアドバイザー、なんとかコーディネーターなどなどカタカナ肩書を付けてなんとか仕事に就こうとそれはそれは必至だった。
約20年あとの由季さんたちのようなできる女たちが会社の差別的体質に嫌気がさして、結局、外資系企業や海外での就職に向かってしまった世代ですよね。残念ながら底流はまだ変わってないですね。

小林 留学を決めて、奨学金の決定を待ってぶらぶら所在無げにしていたころ、大塚さんに出会ったんです。ジェンダーということもすごく気になっていたころだったし。

大塚 それである日、わたしが働いていた女性センターへやってきて、ジェンダー関係の本や資料を見ていたのね。当時、関連資料がとても充実していましたよね、ライブラリーには。そしてボランティアグループの事務局で翻訳などを手伝っていたというわけね。

小林 これからどうしようか、一番、不安な時期だったかな、いま思えば。

大塚 そんな由季さんを誘って横浜のランドマーク地下街にある飲み屋に時々行きましたっけ。

小林 若輩のわたしを、よく気にかけてくださったと思いました。

大塚 それから留学が決まって、イギリスのイーストアングリア大で産業開発、ロンドン大ではNGO経営を学んできた、すごいね。

<エリトリアへ>

小林 2年後帰国してJICAの仕事が決まるまでの間にまた何度かお会いして。。。

大塚 飲みに行って。。。そんな由季さんを、唐突にアフリカにある小さな国、エリトリア行きに誘ったのがわたしでした。

小林 ええ、そうなんです。関心はとてもありましたが、わたしでいいの?とびっくりしました。

大塚 わたし、女性に対する勘はすごくいいの。あとはよくないけどね。。

小林 そうですか。。。

大塚 わたしは’95年の冬、正月休暇をとって友人のグディを訪ねてひとりでエリトリアへ行ったことがありました。彼女はエチオピアの圧政下にあったエリトリアからロンドンに亡命していて、そのころロンドンにいたわたしのルームメイトだったんですね。’93年にエチオピアから独立を遂げたのを機に彼女は自国へ戻り、苦労しながらも新しい生活を始めた。そんなグディを訪ねたのが最初の旅でした。その時、女性たちのことをもっと知る必要があると思って、次に訪問する機会を探していました。

小林 それでお誘いを受けたわけですね。
開発学など勉強してきましたが、まだ現場をよく知らなかったので、わたしにとっても思いがけないチャンスでした。

大塚 由季さんの語学力と学びたての知識それにたくましそうな体力に頼ったところがあったかもしれません、いま思うと。
向こうでは女性連盟を通じて、女性の生活時間調査というのをやりましたね。夜明け前から水汲みや薪拾いに始まり家事と育児に追われっぱなしで、自分の健康のことや識字などの機会がまったくない。
国としてはやっと悲願の独立をはたしたものの、まだまだ経済基盤はぐらぐらで、ゲリラ戦で負傷した解放戦線の兵士、ここでは女性もかなりの数でフロントラインで戦っていましたが、帰還兵士の復帰が大きな社会問題に。また新国家のビジョンや憲法など国作りの基本のき、に取り組んでいた時期でした。女性がもっと社会参加できるようにとの声も上がっていました。

小林 それでも海外からの支援は安易に受けないと、オックスファムなど大きなNGOからの支援も得ていなかった。
一体、何をしてくれるのか、とこちらが試されている感じでしたね。ずいぶんプライドの高い人たちだと思いました。

大塚 いまはまた、エチオピアとの国境での紛争が頻繁に起こり、経済的にもかなり行き詰っているようなので心配です。このような小国が自立して生きる道というのはないかしらね。

小林 マラウィでは独立後、30年ほど開発一党独裁政治が続いていましたが、’93年にレファレンダムがあって多党制民主主義に移行しました。それから10年間、民主主義を旗印に2代目大統領が2期務めましたが、その間、国の経済は落ち込む一方だったので「失われた10年」ともいわれています。’04年にエコノミストで国連・世銀勤務経験でもある現大統領になってから、経済政策をかなり大胆に断行しています。食糧危機に陥った時期もありましたが、政府は、特に主食であるメイズ、トウモロコシの一種ですが、この増産のため補助金で肥料の割引きクーポン券を発行。農民たちは生産に励み、天候などの影響も幸いして余った食糧は輸出できるまでになっているのです。

大塚 国家の自立、民主的な社会、人々の意識変革などは経済の発展という橋を渡って行かないとうまくたどりつかない。それもなるべくみんなが渡れる橋でないと。。。

 

<国際協力の仕事>

小林 ところでBOPってご存じですか?

大塚 ビーオーピー、ん??

小林 ボトム・オブ・ピラミッド。ピラミッドの底辺のことですが、世界的に有名になったバングラディッシュのグラミン銀行方式をさらに進めて、最初からターゲットをボトム、最貧困層に絞るということらしい。

大塚 これまでももっとも貧困層におかれた人たちに最初に支援の手が届くように、という考え方でしたよね。

小林 支援もそうだし、訓練とマイクロクレジットなどのシステムを多く活用して自分の仕事を起こしていくような取り組みですね。BOPではそうした貧しい人々が生産者、供給者になるとともに、消費者、需要者になることを最初から前提にしてものを作ったり、売ったりするわけです。

大塚 マーケッティングがなんといっても難しいですからね、ビジネスの規模や資金の多寡に関係なく。いかに売るか、買ってもらうか。途上国のささやかなビジネスを見ていると、あめ玉の一個売り、たばこ1本、スイカ一切れ、ケータイの10円?くらいのチャージ・充電料金などなど。わずかなものの売り買いで売る方も買う方もぎりぎり成り立っているところがありますね。
BOPのビジネスをもっと活性化して他からの参入を必要最小限度にしていくとしたら、エコ通貨でもって経済独立圏にしていくのは…やはり経済という橋の上で右往左往しそうだな。。。

小林 いまマラウィも中国からの援助と人、製品が急速に入ってきていますので、今後どうなるでしょうかね。こうしてODAの仕事を長くしていて、最近考えることのひとつが、持続性、サスティナビリティです。しかし現場では違和感を覚えることが少なくない。
持続性がはっきり見通せない場合でも、その援助が相手国に必要でモチベーションも高い場合、そこへの柔軟な対応がもっとあってしかるべきかなと。

大塚 わたしのわずかな経験ですが、開発援助の分野はいろいろな考え方、理論が錯綜していると思いました。官と民がそれぞれやるべき事の仕分け、現場の流動的な事象など想定内外も含めていろいろあったですね。

<仕事プラスアルファ>

大塚 マラウィも11年ということで相当になじんできたでしょ。夫さんの仕事がら“大臣夫人”としてのお付き合いもあるのでは。

小林 わたしの仕事がある時は1,2ヵ月海外出張で不在になることもありますが、そうでない場合はなるべく一緒に行動して選挙区へ行ったり、できる範囲でダンナの仕事を手伝ったりしています。そろそろ仕事以外にも何かこの国でやれることはないかと、思う時期に来ているのも確かです。

大塚 たとえば…

小林 以前にもマラウィレポート*を書いていたのですが、やはり書くことかなと考えています。それと農業またはそれに関することでしょうか。。。日本語を教えるとか、文化的な交流を進めることも必要かな。

*http://home.comcast.net/~NGOcolumn/kobayashi.htm

大塚 業としての農、おすすめです。といっていま自分がやり始めたことを宣伝したりして。。。
「半農半X」と最近言われるように、農業プラス何かをする、兼業ですね。わたしも定年後のライフスタイルとして模索して、いなかプロジェクトを立ち上げるとともに人材育成コンサルタントとしておもに女性の社会参加や仕事を応援しているところです。
やはり由季さんも農業に関心がある、それはよかった。

小林 マラウィはバラの花がよく咲いているし、何かできるかもしれない。

大塚 確かに。それにハーブ類の栽培などもおすすめ。いろいろ人を巻き込んでやれるといい。 

<クリスマス&新年は>

大塚 いま住んでいるのはどこなの?

小林 首都の近くで一番大きい商業都市、ブランタイヤという所です。人口66万人ほど。外国人も多いですし、スーパーなどあって便利な所で、治安も比較的いいと思います。

大塚 こうして年に1回くらいは日本へ帰ってくるんですか?

小林 両新のことも気になりますし、だんだん時間と旅費のやりくりができるようになってきたということかもしれません。

大塚 由季さんは、マラウィに初めて赴任した時の気持ちを聞かれたとき、「やっと帰ってきたなという感じがする。」という言葉が出てきたと話していたでしょ。それはやはり自分のミッションは途上国で仕事をするという意味だったんですか。

小林 そうですね、うまく言えないけれど、そうだと思います。マラウイがもうひとつの自分の国になるとまでは想像していませんでしたが。子どもの時からの体験も含めて日本にだけずっといることはないだろうと。

大塚 国際人としてこれからますます必要とされる大事な人材の一人ですよ。

小林 そうですか…。はい。

大塚 ところでクリスマスや新年はどう過ごされるの?

小林 クリスチャンの多い国ですから、まず教会へ。礼拝が終わったあとダンナの実家へ行って親戚と一緒にクリスマスランチを食べることになるでしょう。多くの人はこの休暇中にふだんはなかなか会えない遠い親戚など訪ねたり、迎えたりすると思います。年末は都会の金持ちの若者たちはパーティしながら年越しのカウントダウンをしたりするのかな。新年は1日だけ休んであとは仕事というところが多いですね。

大塚 それでは楽しいクリスマスとよいお年を。ぜひまたお会いしましょうね。

(終り)